補完的広告の例
補完的広告の例としてご紹介しましょう。
結婚のいいところって何でしょうね?
ノーコメント。
<ゲットオールドウィズミー。ゼクシィ>、僕は単純に結婚したいなぁと。
ああそうなんですか。
相手いないんですけどそういうふうに感じましたね。
僕はあの仕事が来たときに僕は結婚したくない派なんで、「これ無理です」と言ったんですがそしたら編集長さんが、「箭内さんが結婚したくなるCMってどんなCMなんでしょうね?
」って、ポツンとつぶやいてそれでスイッチ入っちゃったんですよね。
それどんなものなのか悔しいから作ってみようみたいな。
今まで自分が気付いていなかったような需要というか、新しいモノの見方が喚起されるわけじゃないですか。
あれによってだいぶブランドイメージが変わったというか、上がったような気がします。
広告が商品の価値を超える時ってあるんですかね。
僕はそれはないと思いますね。
ないですか。
ないと思います。
やっぱり広告というのはウイニングランだと思うんですよ。
売れる商品をしっかり広告したから売れたんだと。
いい商品を広告したんだから売れたんだと。
ただいい商品売れる商品それがみんなに知ってもらうためには、どうしても広告が必要ですね。
コピーを作ってみようってことなんですよね。
そうなんですよ。
ぜひ。
「売るもまたよし買うもまたよし堂書店」
あれはうまいこと言ってるなって思ったんですよ。
ホントですか?
ええ。
ただうまいこと言ってるけど、話してくれた強みであったり、こんな人に来てほしいという事は盛り込まれてないので、やっぱりもうひとつ強いものを欲しいなと、僕も聞いてて思いました。
素の僕で言うとしたら、好きな本ばっかり並んでるんでちょっと恥ずかしいんですけど、気に入る本が1冊でもあったらうれしいですねぐらいの感じです。
友達とかに言うとしたら。
その恥ずかしいという部分はいいですねすごく。
正直だし。
恥ずかしい…。
アダルトっていう意味じゃないですよ。
そういうニュアンスおもろいかもしれないです。
でも僕が本屋になるとしたら「お客さんどう思ってんねやろ?
このラインアップ」ってたぶん考えてしまうやろし。
緊張関係が多少あって。
それはたぶん自分が選んだ本を、並べてるってことの恥ずかしさに近いと思うんですよね。
例えば「恥ずかしい」ってだけでもいいと思うんです。
「恥ずかしい。
堂書店」
それメチャクチャ面白そうですね。
しかも僕が好きな太宰とかにもちょっと通じるというか。
美学ですよねそこは。
恥っていうかね。
恥ずかしさ。
デリカシーっていうかね。
すごいですねなんか。
できちゃった感じがしますね。
そうですねそれでいきたいです
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