「統計的差別」と「情報の非対称性」
しかしこの理論、労働者の質が全て同じだった時に限られます。
取り替えのきかない能力さえあれば、この相場よりも高い給料をもらえるのです。
この時の先生に聞いたお話は、これはいい事を聞いたぞというのと同時に、そこをしないとヤバいという。
特に取り替えがきかない存在になりたいというのは、結構僕の切実な思いで。
後輩とかにもまるで自分が発見した言葉のように、これを言ったりします。
「取り替えのきかない存在にならなあかんからな」とか、言うてますからね僕。
でも例えば本が好きという性格というか、特技のようなものを、他の人がまねしようと思って付け焼き刃で本を読んでも、多分過去の積み重ねてきた経験も違いますし、深みというのが違う気がするんですよね。
15年ぐらいの一応ずっとやってきたというのが、多少役に立ってるんですかね。
でも昔って椅子取りゲームみたいなものでも、人の数より椅子が多かったんですね。
今は椅子の数の方が少ないんですよね。
頑張れば座れるじゃないかと言うんだけど、ある程度席が限られてたら、誰かが座ったら誰かははじき飛ばされる。
「統計的差別」というお話を以前したと思うんですけれども、年長者の人たちは近頃の若い者はとか言うわけですよ。
でも実際に大学で教えてたりすると、最近の大学生の方がずっと真面目だし、よく勉強してるんですね。
そういう人たちに向かって仕事がないような、チャンスがないような状況だと何が起こるかといったら、チャンスがなければ努力をしない。
努力しても報われないから努力をしないとなっちゃうので、ちゃんと適切なチャンスが来ないといけないと思うんですね。
9月には就職活動についても経済学で分析してもらいました。
就職活動では学生は企業の事をよく知っていても、企業は学生の事をよく知りません。
これを「情報の非対称性」と言います。
この非対称性のために学生は企業に対して、自分の労働力という商品が、いかに優れたものであるかを伝える必要があるのです。
学歴や資格もこのシグナルの一つ。
更に自分のシグナルを相手に信じさせるため、コストを多くかける事も大切です。
お金だけでなく時間や労力というコストも、自分の真剣さを証明する効果があるのです。
何でしょうね。
僕もこれ、情報が足りひんような気するんですけど。
シグナリングというのは有利な人と不利な人がいるんですよね。
能力が高い人はごちゃ交ぜに扱われてたら、不利なんですよ。
損してる。
能力がそこそこの人にとっては、ごちゃ交ぜになってて得してるんですね。
能力が高い人が「いやいや一緒にしないでくれ」と言って、頑張るとそこに違いが出てくるわけじゃないですか。
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