大卒者と高卒者の間の賃金の差は大体一定
作られた方は?
はい。
地元新潟なんですけど地元の米が食べたいというのと、米を買うんだったら親に電話して。
「お金送ってくれ」はアカンけど米は罪悪感感じずに頼めるというか。
「米米くれ」と電話をお母さんにするときに米米電話。
米米CLUBもまあ。
全然考えなかったです。
考えてなかった。
分かりました。
ありがとうございます。
授業に参加した社会人の皆さんからは、驚くような斬新な新・四字熟語が飛び出しました。
そして面白い解釈が続々と生まれました。
これぞ「発想爆発」
面白い人がすごい多かったんですよ。
正直僕が引くぐらい、いい新・四字熟語いっぱい作ってくれるというか。
なんか意気込みがすごいなという。
やっぱり学ぶってこうなんやろうなと。
一回社会に出てから学校に来る人って、そういう姿勢がすごい強いって言いますよね。
そうですね。
一方日本の大学生はよく、勉強しないとか言われるじゃないですか。
今後そういう大学の存在意義は変わってくるんですかね?
少子化が進んで大学の数が増えているので、多すぎるんじゃないかという議論が出てくるのはよく分かるけど、ただ本当に多すぎるかという事を少し経済学の視点で見てみると、必ずしも多すぎるとは言えないという面もあるんですね。
赤いグラフは高卒者に対する大卒者数の割合の推移です。
年々増加しています。
一方緑のグラフは賃金の格差を示しています。
90年代半ばまでは差が縮まっていましたが、以降その差は縮まりません。
もしも大卒者が単純に多すぎるっていうことであれば、大卒者の値崩れが起こるはずですよね。
大卒者と高卒者の間の賃金の差は大体一定にとどまってるんです。
ですから供給が増えているにもかかわらず価格が下がってません。
やっぱり大卒者っていうのは求められてるんですね。
コンピューターの技術が進歩したことによって、多くの人がやってた仕事が置き換わっていて、人間じゃないとできない仕事に行かなければいけない。
より高い水準の教育機関としての役割は強まってくると思うんです。
今からでも僕行けるものなら大学に行ってみたいなと思います。
学びたいことを学べる大義名分ができるというか、それに没頭する時間を与えてもらえることでも、あるんじゃないかなと思ってまして。
だから今してる仕事を辞めて、大学に入り直すというのはかなり大きな決断で、なかなかできることじゃないですよね。
そうですよね。
今ネットで大学の授業を中継してる学校もあるんですよね。
あっそうなんですか。
はい。
教えてる先生が熱意を持っていて分かりやすく教えていると、どんな内容でも面白く聞けるっていう部分あると思うんですよ。
学校に通わなくても学ぶ機会は増えてきてると思うんですよね。
そういうハードルが低い所から始めてみるというのは、ひとつできるんじゃないかと思うんですよね。
やろうと思えばそういう機会は今ならあるってことですね。
はい。
そういうことだと思いますね。
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