いつ著作権という考え方が出来たのか
自分が死んでから何十年も自分の作品が読み継がれるとしたら、それはもうただうれしいだけで。
著作権とかそういう概念は、あんまり考えないですね。
それだけ長く読まれるというのも、それだけでうれしいってこと?
そうですね。
書き手としては…、ネットにタダで載せてたら多くの人読むからいいじゃないかと。
それも1つの考え方だと思うんですけど、自分の実感として例えばコンサートに行きましたとか、本を買いましたでもいいですけど自分で金払ってると、すごいせこい話ですけどすごい見るんですよ。
思いっきり見ます。
その分ええなみたいな。
そういう入って行き方がたぶん角度が違うと思うんですよね。
人に借りた本の1ページ目開くのと買ってきた本開くのと、なんかちょっと気持ち的にも違いますよね。
やっぱりなんて言うんですかね。
もうタダで読みたいという欲求は自分も昔あったんですよすごい。
そう言いながら。
金なくて本買えなくて図書館行ったりとか。
あんまり法や何て言うんですか現実的なことで縛り上げんでも、なんとなく方法ってあるのかなという気がします。
最初小説書いたときに結構聞かれたんですいろんな人に。
インタビューで。
「なんなんですかあれ?何であんなの書いたんですか」と。
自分でもよく分からなくて。
なんでやろと思って。
モノローグなんですけどそれには中学ぐらいの時に読んだ、筒井康隆さんの影響がへぇ~!あったりとか。
それの描写の方法とか。
それって自分でこういうのを取り入れようとか、落語のこういう部分を取り入れて小説を書こうとか、先行する小説のこういうところをまねして書こうとか、そういうのは全く思ったことがなくて。
好きなもので見てきたもの聞いてきたものが、自然に出たというか。
だから「なんで?」と聞かれたら、こんな人間になってもうたからという感じですよね。
著作権というのは丸コピーとかしたら著作権侵害になると思うんですよ。
あるいは全く同じ設定でちょっとだけ違えて書くとか。
カギカッコの中全部一緒やったとか。
それは著作権侵害になりますが、影響は避けられないでしょうね。
何かやってるかぎりは。
古代では人類に「著作権」という考え方は存在しませんでした。
しかし印刷機の発明と普及が事情を一変させます。
16世紀のベネチア共和国では特定の業者に、17世紀のイギリスでは書籍出版の組合に、それぞれ印刷する独占権が与えられました。
コピーライトつまり本の複製をする権利が生まれます。
それは国家による検閲の道具として使われました。
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