知的財産権は法律により公共財を準公共財に
音楽とかでもどこまでがまねかという事が非常に難しい。
そこが結構難しそうですね。
コントとかお芝居とかもそうだと思いますが、小説もそうだと思うんですけど登場人物が人間の場合って、必然性があるじゃないですか。
例えば枕元に先祖が立つという、コントがあったとしてその設定で考え始めたらある程度なんか、そこで起こってしまう事件とか似通ってきたりするから。
だからたぶん設定自体は保護されないわけですよ。
その設定は他の人が同じ設定で違うコントをやる分にはかまわない。
そうしないとできることなくなっちゃいますよね。
古典の落語があるとしますよね。
ああいったものには著作権って今ないんですね。
でもその古典の落語をちょっとずつ変えて、自分なりのアレンジをしてそれをまた新たに公表すると。
そういった場合には新たな作品に対して、著作権が発生することもあるんですよね。
知的財産権全般の話をしてきましたが、これって経済学のキーワードでいう公共財にそもそもあたるんです。
公共財は次の2つの性質を持っています。
リンゴは誰かが食べたら減ってしまいますが、情報は誰が使っても情報自体は減りません。
リンゴはお金を払わない人には売らなければ済みますが、知識は勝手に利用されてしまうかもしれません。
知的財産はお金を払わずに利用されることがないよう、2つ目の性質を法律で制限したものなのです。
知的財産権というのは法律により公共財を準公共財にしてやる。
なるほど。
そもそもなぜ公共財を…。
みんなで使える物ですよね。
なぜ使えなくするというか、そうする必要があるんですかね。
著作した人に対して何にも権利を与えなかったら、物を創ろう創作しようって意欲がわかないですよね。
なので意欲を喚起して創作させるインセンティブを持たせるということも、大事ですしそれをみんなで使うこと。
これも大事なんですね。
その両方のバランスをとるのがとても大事なんですよね。
著作権制度は文筆家の創作活動にどのような影響を与えているのか。
作家は何のために書き文学は誰のものであるのか?
がその本音に迫るべくスペシャル対談に臨みました。
作家町田康さん。
まず著作権が作家の死後50年保護されるという話題からです。
作家さんにとって著作権が作家さんの死後も長く続く事は、書く動機につながるんでしょうか?
作品を書こうと思いついたときにその中身の事は気にしますけど、著作権が死後何年続くかとかあんまり考えないですね。
そうですよね。
でも著作権が長い分にはいい?
本当のぎりぎりの実感でいうと死後読まれるというのは、うれしいですけど生前でも10年ぐらい前の小説って、読まれなくなったりします。
10年とか5年とか3年でも。
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