愚かな行動を行う権利…愚行権
理由を言える。
…ぐらいのことで、衝動的にやっちゃったみたいなことではなく。
ちゃんと考えがあっての行動だったってことですかね。
しかし最近では「人間は必ずしも合理的ではない」と、考えるようになりました。
人間って確率の計算すごい苦手なんですよ。
あっそうなんですか。
例えばサイコロありますよね。
サイコロを投げてこの「1」の目が出る確率はどのくらいですか?
6分の1ですか。
そうですね6分の1ですよね。
このくらいみんな知ってるわけですよ。
「サイコロを6回転がして最低でも1回出ればいいです」というのは、どのくらい起こりやすいと思いますか?
1回ぐらい出そうですよね。
出そうな気がしちゃいますよね。
サイコロを6回振れば少なくとも1回くらいは「1」が出るだろうと、考える人は少なくないでしょう。
ところが実際に「1」の目が出る確率はかなり低くなります。
まずサイコロを6回振っても「1」が1回も出ない場合を考えてみます。
「1」以外が出る確率は6分の5。
6回振ると「1」以外の目が出る確率は33.5%。
つまり6回振って「1」の目が出る確率は66.5%しかありません。
3分の2ぐらいしかないと。
なのでこういう確率の計算がうまくできないと、例えばもっともうかると思ってギャンブルやっちゃったけど、トータルでは損しちゃう。
そういう事も起こってしまうこともありえて、こういうのも人間が合理的じゃない事の例ですよね。
なるほど。
こういう写真を預かってるんですけど、これ先生ですよね。
これ大学の先生だと思えないような状態ですが。
完全に飲みすぎですよね。
そこを誰かに撮られたという。
はい。
なるほど。
こういう事になるわけですもんね。
まあそういうのも含めて人間は合理的なところもあるし、そうじゃないところもある。
合理的じゃないですね確かに。
困りましたね。
困りましたね。
そういういろんな失敗があるから規制をするっていうのは、分かったんですけどでも人間ってそもそも、失敗をする生き物じゃないですか。
まあそうですね。
さっきの自分を見ると。
そうですよね。
その中でいろいろ学んでいったりだとか、子供もいろいろ経験してこれはダメなんだなとか、それを規制するっていうのはどうなんですかね?
そうですね。
失敗から学ぶっていう要素もありますし、間違った行動だよねと思ったとしても、本人が納得してやるんだったらそれを止めちゃいけないというか、止める権利はない…みたいな考え方として、ジョン・スチュワート・ミルっていう人が「愚行権」
愚行権。
愚かな行動を行う権利…なんて考え方も出してるんですね。
へぇ~!愚行権の一番分かりやすい例だと、冬山の登山みたいなのは危険だと思うかもしれないけど、それを望んでやりたい人たちがいる。
これを止める権利があるか…みたいな話になりますよね。
他にもこんにゃくゼリー。
これがのどに詰まって危険だ、なんていうことで規制されようとした。
それと比べてお餅。
お正月とか時々ニュースになりますよね。
おじいさんおばあさんがお餅のどに詰まらせちゃって、掃除機で慌てて吸ったみたいな。
どっちが危険かと言ったら、お餅の方が危険かもしれない。
そうですね。
けどお餅は規制されないでこんにゃくゼリーは規制されようとする。
ちょっと矛盾があるような気もしますね。
感覚としてお餅を規制するわけにはいかんやろっていう。
お正月の楽しみが無くなっちゃいそうな気もします。
どの程度まで規制してどの程度は人々の自由な判断に任せるか。
その線引きってのはまあなかなか難しい問題ですよね。
いろんな人居ますもんね。
全然違いますもんね一人一人で。
うん。
「『みんながルールを守らないから校則ができる』と、教頭先生が言ってたのを思い出しました」
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