規制で守られた商店街の人たちは、競争力がついてこなかった
これにより大型スーパーの出店を規制したのです。
大店法によって守られたはずの商店街。
しかし規制は意外な副作用をもたらしました。
戸越銀座銀六商店街の亀井でございます。
亀井哲郎さんは戸越銀座で80年続く宝飾店の三代目。
町の移り変わりを見つめてきました。
亀井さんの目に「大店法」はどう見えていたのでしょう。
亀井さんが子供の頃はこの辺の商店街は、どういう雰囲気だったんですかね。
そうですね。
すごくにぎやかで、毎日縁日のようなにぎやかさの中で、商店街って当たり前のようにそういうものだと思ってたんです。
今専業主婦の方って減りましたよね。
ああそうですね。
学生さんもOLさんも、主婦の方がパートに出かけたりということもあって、朝早く出かけていって帰ってくるのは夜遅くというと、商店街の営業時間となかなかライフスタイルが、マッチしなくなってきてるんですね。
本来は大型店とかコンビニみたいなところに、どう対抗していったらいいのかを商店街もしてこなければ、いけなかったけれどその規制があったことによって、そういう時間が遅れたってのも現実だと思いますね。
実は守られた反面商店街の人たちはなかなか、競争力がついてこなかったというのも現実なんですね。
なるほど。
規制に守られすぎてて、その分っていう。
そういうのもあるんですね。
ありますね。
商店街が時代の変化に苦しむ中、大店法の規制が緩和されていきました。
80年代後半には地元との協議が無くなり、売り場面積も拡大されたのです。
更に2000年には「新大店法」が施行されます。
駐車場の面積や騒音対策など規制が残る一方、店舗面積について規制は廃止。
これまでにない巨大なショッピングセンターが次々に誕生しました。
一方今も商店街復活の決め手は見つかっていません。
東京の戸越銀座でも模索が続いています。
1994年ゆるキャラを発表。
99年にはオリジナルブランド商品を発売。
今ではお菓子や調味料など30種以上に増え、売り上げも伸びているといいます。
そのおかげで地元の方が、自分たちが田舎に帰省する時とか友達の家に遊びに行くときには、地元の戸越銀座ブランドの商品を買って、お土産に持ってってくれるようになったんですね。
僕の生まれ育ったふるさとですから、何とかしなくちゃいけないなという気持ちで。
自分たちのふるさとの中心の商店街が、元気でにぎやかな場所であれば、地域の人たちのプライドにつながると思ってるんですね。
その近くで暮らす事というのはすごくぜいたくな生き方に、僕はなるかなと思っていますね。
なるほど。
はい。
こちらですね。
ああ。
これは先生がスーパーで買い物をしてるんですかね。
そうですね。
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