日本の株価は1989年末の史上最高値を境に急降下
永野修身さんはバブル時代に、四大証券会社の一つ山一證券で、トップセールスマンとして活躍していました。
山一證券の倒産後に、金融関係の再就職斡旋の会社を立ち上げた永野さん。
かつての同僚が苦労する様子を多く見てきた事が、きっかけでした。
当時のバブル経済というのはどれぐらいすごかったんですか?
お客さんも結構儲かってたじゃないですか。
どちらかというと旦那が株屋を飲みに連れていくという、そういう図式。
逆なんですね。
逆なんです。
接待される方なんです。
1億儲かりましたと。
ちょっとこれ祝儀だって、断るんですけどね何回も断ると怒るんで。
そういうのが普通で100万ぐらい多い時で300万ぐらい。
ラスベガスに行って。
へ~っ。
何万ドルか小遣いをもらって、それでラスベガスで全部すっちゃって。
バブルですね。
バブルですね。
周りもすごい派手な暮らしをしてるとかが多かったんですかね。
派手でしたね。
女の子なんかでも、入社2~3年ぐらいの若い新人に近い女の子が、お父さんのボーナス抜いちゃったなんて…。
それちょっと切ない話。
切ないですね。
上昇を続けた日本の株価は、1989年末の史上最高値を境に急降下を始めます。
それは永野さんにとっても予想外の出来事でした。
ずっと続くというふうな感覚だったんですか?
恐ろしいもので続くと思ってたんです。
だから3万8,915円の納会の時、日経平均10万円説が出てましたからね。
来年10万いくんじゃないかとか。
それがすっからかんになったんですけど結論としては。
後講釈言うやつはいるんですけどね。
あの時危ないと思ってたみたいな。
そんな事を言うんだったらお前大儲けしてるはずだろって。
その後山一證券は、不正な会計処理を行っていた事が発覚。
1997年自主廃業に追い込まれます。
倒産した時は倒産すると思ってなかったんですよ。
支店を開ける前に上から見たら、お客様が長蛇の行列で並んでるわけですよ取り付けで。
その時ですね会社が潰れるってこういう事なんだって。
バブルって何なんだったと思いますか?
泡。
パッと出てパチンと消えちゃった幻想ですよね。
もう一度バブルが来てほしいと思いますか?
なだらかなバブルが来るのであるならば、自分としてはもう一勝負いろいろできるかなと思います。
何かパワーありますよね。
「平家物語」の話を聞いているような。
「平家物語」。
栄枯盛衰ですね。
そうですね。
理論よりも価格が上がってしまうと、誰でもおかしいなとは思うんじゃないですかね。
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