バブル時代の地上げの傷痕から立ち直ろうとする現場
バブル時代の地上げの傷痕から立ち直ろうとする現場があります。
うわ~すごい!これが開発区域の全体なんです。
8,000坪あるんですよ。
広いですね。
8,000坪ですか。
あれ超高層の基礎になる部分ですね。
55階でしたっけ?
そうです。
もう山手線では最後の超高層。
これ以上のはできないと言ってましたね。
その向こう側には、3階建てのビルの上に一戸建てを並べて、木造の家がいろいろあったというのを再現したくて、みんなで相談して。
3階建てのビルの上に昔の町並みを再現するという。
かつて古い木造住宅がひしめいていた新宿区富久町。
下町風情豊かなこの街を地上げの嵐が吹き荒れたのは、二十数年前。
多くの住民が街を去った頃バブルが崩壊します。
そば屋を経営していた笹野亨さん。
地上げには応じませんでした。
当時はいくらぐらいで売ってくれと言われたんですか?
個人で売ろうと思ったら、150万か200万ぐらいでしか売れないところを、最高に売った方は坪3,000万円ぐらいで。
うちも実際10億。
31坪しかないんですけど。
やっぱりこの街にも愛着もあったし、またお客さんもいっぱいいたんで、移る気は全然なかったんですよね。
でもそういういろんな事情とか思いがある人はここに残って。
隣近所のつきあいがすごくあってね、すごいいい街だと私は思ってたしね。
家はあるけども留守。
そこへホームレスの人が住み込んだり、あと原因が分からない放火が3件ぐらいあったりとか。
本当にね街が死んじゃってるというかね、どうしようもない状態だったですね。
残った住民が話し合い1997年街づくり組合を結成。
専門家の協力で再開発を計画。
行政への働きかけ地権者との調整も進めました。
そして周辺の道路の整備に合わせて、去年やっと工事がスタートしたのです。
残った人たちはやっぱり今までどおりの生活がしたいと。
そういう思いで街を何とかしようよというのが、原点ですね。
24年ぐらいかかりましたね。
24年ですか。
そういう大変な思いをされてようやく今…。
こういう現場を見ると私本当に涙が出るぐらいうれしいですね。
そうですよね。
バブルにリアリティーはないんですよね。
僕の家自体が貧乏だったんで、焼き肉に行っても母親は、カルビ2枚食べたら、もうお母さんおなかいっぱいという芝居を始めますし、僕は6歳7歳やのに、お茶漬けを頼んで、「おじいちゃんみたいなのを食べて」って笑うんですけど、いや親カルビ2枚でおなかいっぱいと言ってるから、こっちも気を遣ってんねんというそういう暮らしをしてたんで、バブルって何なんやろうって幻想を抱いてた時があったから、そこから現実に戻った時に、その落差で苦しんだ方もいれば被害者みたいなもんですよね。
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