コンドルセ・パラドクス
「何も建設しない」と…。
「体育館」
この灰色と青の部分を比較すると。
ああ青の方が強いですね。
青そうですね。
AとBは青の方が上でCだけ灰色の方が上になってる。
結局青が勝つってことで体育館建設が選ばれるはずですね。
このように住民投票をしてみると「図書館」と「体育館」では「図書館」
「体育館」と「何もしない」では「体育館」が選ばれます。
そうすると「図書館」と「何もしない」で住民投票したら、「図書館」が選ばれそうですが実際はどうでしょうか?
残った最後の組の「図書館建設」と「何もしない」を比較してあげると、今度は緑と灰色の勝負になるんですけど、これはどっちが勝ちますかね?
これは緑ですね。
おっそうですか?
え~と緑と…。
緑と灰色。
緑と灰色。
え~逆ですね。
逆ですね。
今BとCが灰色の方が緑より上にきていて、Aだけ灰色が下なんで2対1で今度は灰色が勝つと。
こうしてみると「体育館」と「図書館」だと「図書館」が勝ちます。
「何も建設しない」と「体育館」だと「体育館」が勝ちます。
この2つだけを踏まえると、「図書館」と「何もしない」を比較したら、「図書館」の方がいい気がしますが実際にさっきの例で見たように、今度は「何もしない」ほうがいいとなっちゃうわけですよね。
う~ん。
要は選ぶものがぐるぐるなるほど。
サイクルを作ってしまって。
う~ん。
今では「コンドルセ・パラドクス」とか、あとはぐるぐる回ってしまう事を「コンドルセ・サイクル」と呼んだりします。
不思議ですね。
これだけだと特殊な状況で、多数決がうまくいかない一例に過ぎないような気もするんですが。
アローはこのあと分析のしかたをググッと一般化して、多数決のように一見すると誰しもが認めるような、社会的な意思決定ルールがあるかを調べたんですけども、結果としてないと。
う~ん。
こういった民主的な手続きによって、集団での優先順位を決定する事が原理的にできないと。
そのある種否定的な結果を、今日では「アローの不可能性定理」という形で表現したりします。
不可能性定理…。
つまり個人の優先順位はハッキリしているのに、社会全体で優先順位を矛盾なく決めることは不可能だ、ということなのです。
この場合だと1階を体育館で2階を図書館にしたら…。
なるほど折衷案ですね。
そうですね。
さらに地上100mくらいの所でそれができれば、何も建設してないような地上では…。
確かにね。
ある与えられた条件の下では、うまくいく方法があるかもしれないですし、あとはベリーベストなものがないってことは分かっても、AとB2つのルール決定のしかた、どっちがいいかという議論はできるんです。
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