市場に対する「規制」の是非を巡る論争
銭湯の人ももちろんやっていける値段で、みんなも風呂に通いやすいちょうどいいところを、政府が考えて決めるって事ですか。
そうですね。
次の「外部性」
これはすごい分かりやすいと思うんですね。
例えば工場が好き勝手にものを作ったら、音がうるさいとか煙が出て困るとか、こういうのを負の外部性といって政府が規制してやる。
なるほど。
ルールを決めてやる。
そんなことが行われます。
工場が公害を発生させたとき、生産活動とは無関係な周辺の住人が迷惑を被ります。
当事者たち以外に影響が及ぶ事を「外部性」と呼び、特に悪い影響を与える場合を「負の外部性」といいます。
「負の外部性」について思いつく、生活の中で見聞きするようなうまい例ってありませんかね?
やっぱり迷惑に思うのは音とか臭いとか。
アパートとかマンションでもどれぐらいの音で隣に聞こえてるのか、聞こえへん一番でかい音でテレビとか映画とか、見たいというのはありますよね。
それもマンションごとアパートごとに、これぐらいで隣に音漏れますとあらかじめ調べてくれてたら、便利やなと思いますね。
それいいですね。
臭いとかもね居酒屋とかに座敷とかあるじゃないですか。
入り口の所にセンサーがあってある一定の臭いを超えたやつは、座敷上がられへんみたいな。
音鳴った人はすみませんけどカウンターでみたいな。
でもそれカウンターの隣の人はどうするんですか?
カウンターもそういう人ばっかり。
それは嫌ですけどね。
それを改善する方法があるとか。
例えばセンサー反応した人はここの下駄箱に入れてくださいと。
入れたらシュシュシューっと出て臭い消えてるとか。
そうやって負の外部性の元を消せるんであれば、それが一番話は早いですよね。
他の人がどう感じるかってあまり想像力が働かない人も、世の中には居るわけでそうするとルールを決めざるをえないってのは、あるのかもしれないですね。
うまくいろいろ回ってないところというか、そういうのを整理していくような役目が、規制にはあるという事ですかね。
そうですね。
18世紀以降経済学者たちの間で、市場に対する「規制」の是非を巡る論争が続いてきました。
「経済学の祖」と呼ばれるアダム・スミスは政府による規制を撤廃して、豊かで強い国家を作るべきだとの論陣を張りました。
規制がなくても市場は「神の見えざる手」に導かれる。
自由競争こそが社会に利益をもたらすと主張したのです。
「規制」は経済発展を邪魔するものと考えたのです。
このスミスの「自由主義思想」はやがて世界へ広まりました。
しかし1929年には「世界恐慌」が発生。
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