政治家は国民が短期的に喜ぶような事だけをしてきた
お年寄りも裕福な人も貧しい人もいますよね。
だから社会保障を一律に切り下げるというのは、なかなか難しいと思うんですよ。
貧しい人がもっと貧しくなってしまうかもしれない。
でもすごく豊かなお年寄りもいらっしゃいますよね。
そういう人の年金を少し減らす。
あるいは年金から税金を取るとか、それからそういう人たちには年金を辞退してもらうとか、あるいは年金の一部を、寄付しますというふうな仕組みを進めていくと、少し豊かな人に負担してもらえるという事はあると思うんですね。
でも出てくるかですよね。
そうですね。
でも長く生きるようになったから、年金生活をその分だけ同じ時間にしようと思ったら、支給開始年齢を遅くしないと、どうしようもないというのはあると思うんですね。
だから子孫の事というのは、こんなに将来世代が貧しくなってもいいのかという事を、真剣に考えるお年寄りも多いと思うんですよ。
これらは決して新発想というわけではありません。
これまで幾度も議論されてきたものなのです。
でも先生これほどいろんなアイデアがあるのに、なぜ実現しないんですかね?
それは難しいですね。
なかなか実現しない一つの責任は、私たち自身の問題だと思うんですよ。
私たちが投票して政治家を選んで制度を決めていくわけですけど、きちっとした政治をしてもらうという監視を、ちゃんとしてこなかったんだと思うんですね。
逆に言うと私たちが甘えてたというところがあって、どうしても先延ばししたいというのがありますよね。
ダイエットも明日からしたいというのもありますよね。
だからひょっとしたら財政破綻は今しなくて済むんだったら、増税今しなくて済むんだったら明日に延ばしたいという事で、そういう政治が行われてきたと。
だけどやっぱり財政を本当に自分のものだと考えれば、そんな無責任な事本当はできないはずですよね。
だから政治家任せにして、政治家は国民が短期的に喜ぶような事だけをしてきた。
私たち自身にも問題があるし政治家にも問題がある。
両方悪かったんだろうと思いますね。
市民が政治から目をそらしてしまった事で滅んだ、巨大文明があります。
2,000年の繁栄を誇った古代ローマです。
その繁栄は水道や街道などの高度なインフラ整備と、食料や娯楽の供給によって支えられてきました。
しかし最低限の暮らしを約束されたローマの市民たちは、次第に政治に無関心になっていき社会システムに多少の無理が出ても、現状を変える努力を怠ってしまったのです。
偉大なる古代ローマ人も現状維持バイアスにかかり、損失回避バイアスにかかりローマ帝国を、終焉へと向かわせてしまったと言えるのです。
私たち人類はこのまま再び、経済原理に負けてしまうのでしょうか?
今の日本と古代ローマってちょっとかぶりますね。
そうですね。
日本の政治もゴタゴタしてますから、それで関心が薄れるというのもあると思うんですけど。
関心が薄れていいかというと、そういうわけにもいかないですよね。
今の日本ってローマ帝国後期という感じですかね。
古代ローマと日本だけではありません。
多くの先進国が同じような問題を抱えています。
日本の人口が減ってるんだったら、無理に経済成長していかなくても、コンパクトでそこだけでみんながちゃんと生活できれば、いいんじゃないかなと思うんですけどね。
人口が減った社会ではそれでうまくいくと思うんです。
問題は人口が成長する時に作られた制度のまま、減りつつあるわけですよね。
だからそこをどう不時着するかという問題なんですよね。
そこに移っていく途中が一番大変なんですよね。
そういう大変な時代を日本が多分先進国の中では、一番最初に迎えてるんだと思うんですね。
一種のチャレンジですから。
頑張るしかないですね。
いろいろアイデアを考えて、実践していくしかないと思いますけど。
とりあえず埋蔵金の本をちょっと読んでみます。
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