「国の富の75%」とは人間が身につけた技能や知識の事
自分が学校を卒業する時の景気の状況というのは、全く運でしかありませんよね。
そうですよね。
一度うまくいかないで正社員になれなかったりすると、そのあと正社員になるのがとても大変だと。
ですので運でかなり生涯に続く格差というものが、決まってしまうという部分があるという事ですよね。
じゃあ途中から就職して、新卒の人たちと同じように評価されるというか、仕事を始められるという状況日本ではあまり無いんですか?
やはり平均的に見てみるとアメリカなんかに比べると、なかなかそのチャンスが限られてるという事ですよね。
だから今僕がもし芸人できなくなったら、何の仕事をするか具体的に考えていくと、すごい怖くなるんですよね。
まず接客業…。
笑顔が苦手なのでできないじゃないですか。
腕力がないので荷物運びとかもできませんし、声ちっさいんで指示を出すみたいな仕事もできない。
街を歩くだけの仕事とか…。
私自身も31歳の頃を考えて、経済学者としての仕事が駄目ですと言われてしまったら、どうしようかとやはり考えたと思いますので、本当に次の仕事を探せるんだと思ってる人というのは、実はそんなに多くないんじゃないですかね。
そうですよね。
格差の問題に希望を与えるある人物の言葉があります。
1987年世界に衝撃を与えた株価の大暴落。
後にノーベル経済学賞を受賞したゲーリー・ベッカーはこう言いました。
「国の富の75%」とは人間が身につけた技能や知識の事。
だから株価が一時的に暴落しても心配はないと主張したのです。
人を育てる教育こそ国の富を生み出す源だという考え方です。
75%人間が持ってるって考え方、すごい前向きでポジティブでいいですよね。
そうですね。
格差というのが一番どこから出てくるかというと、教育とか仕事に就いてからの訓練で身につける、技能であったり知識であったりそういった事が大きいわけですね。
そこの部分を平等にしていくという事が、格差を縮小していくためにはとても大切だという事になります。
若者でもおじさんとかに、「あいつはしっかりしてるから何があっても大丈夫だ」とか、言われるやついるじゃないですか。
みんながああなればいいって事ですよね?
そうだと思います。
みんながそうならどんな状況でも、その75%は失われないという。
そうですね。
「あいつは大丈夫だ」って言われる人の、その根っこの部分ってどこから来てるかというと、親から受け継いだものもあるのかもしれないですけど、やっぱり学校でいろんな社会のルールを学んだりとか、あるいは勉強したりとか、そういった部分から来てる部分も大きいわけですね。
日本は同じカリキュラムの下で小学生中学生が勉強する。
基本的に全国どこの市町村に行っても、同じような費用で運営されている。
ですので格差の根本のところにある、技能とか知識というものを学ぶための機会が、比較的みんなに平等に与えられてる社会だと、言えるかもしれません。
ここの部分をしっかりと守っていくという事が、どうしても必要なのではないかと思います。
僕の家あんまり裕福じゃなかったんで、その時に奨学金とか知っていれば、もしかしたら僕の人生が変わったかもしれないですね。
高学歴芸人になれてたかもしれないです。
奨学金芸人にもなれたかもしれないですし。
そういうチャンスがいっぱいあればいいですよね。
そうですね。
奨学金は将来得られる所得を当てにした借金ですから、教育を受ける事がその人だけに返ってくる事じゃなくて、社会全体に返ってくる部分もあるんですよね。
何かいいネーミングをに考えて頂いて…。
単純に「ラッキーチャンス」とかでいいんじゃないですか?
ほんなら何か深刻にならんで済むような気がしますけどね。
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