「排除可能性」とは
日本では「国土の均衡ある発展に道路は欠かせない!」と、政府や自治体が道路を建設。
今や国内の総延長は127万km。
地球31周分にも当たります。
しかし近年若者のクルマ離れも進み更に財源も限られる中、これからは一体誰が道路を維持するコストを担えばいいのか?
経済学はどう考える!?
クルマで山とかに行ったときに本当に山奥のとんでもない所に、ちゃんと道路があったりするじゃないですか。
本当に「造った人すごいな!」とか思うんですけど。
経済学では道路を造るときに、どのような問題があると考えられてるんですか?
道路を造るというのは経済学的に考えても非常に難しいんです。
例えば建設費100万円の道路を3人がお金を出しあって、造るとします。
Aさんはこの道路に60万円出す価値があると考えました。
Bさんは40万円。
Cさんは20万円出す価値があると考えました。
ところがAさんは「いくら出すか」と聞かれて「40万円」と答えました。
それでも3人の合計額は100万円になるので、道路は造れますがAさんはこの場合20万円分得をします。
この時Aさんを「フリーライダー」と呼びます。
このフリーライダー問題があるとどうなるかというと、Aさんはウソついてラッキーでしょ。
Bさんもウソつくインセンティブは…。
ありますね。
ありますね。
これ30にしたとしましょう。
ウソをついて。
そうすると403020で…。
足らないですね。
足らないとどうなるかというと。
造れない。
造れない。
こういうのは困るからどうするかというと、政府があるいは自治体が道路を通そうとするんですよね。
なんかよくわからない全然価値のない道路でも、造った方がいいと言ってるとかでバンと通しちゃうってのが、そこらじゅうにある使われてない道路ということになっちゃう。
では造った道路をどう維持管理するかっていうのは、経済学ではどう考えるんですか?
そうですね。
まず造られちゃった道路は基本的には誰でも使えますし、完全な公共財なので今までは無料で提供するってのが、基本的な考え方だったんですね。
ところが実際はそういう問題ではなくてさまざまなパターンがあると。
道路は生活を便利にする財の1つ。
では誰が道路を維持管理するコストを払うのか?
経済学で考えてみましょう。
財は2つの尺度によって4つの種類に分けられます。
代表的なものはそれぞれこの4つ。
「排除可能性」とは使う人を限定して料金を取れるのか?
それとも取れないのか?
「競合性」とは誰かが使えば他の人は使えないのか?
それとも使えるのか?
という物差しです。
じゃ道路は先ほど言ったように実はこれだと思われてるんです。
そうですね。
公共財みんなが使えるもの。
ところがこれ非常に難しくて。
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